社員プロフィール

「子どもが小さい頃、セレナでよくキャンプに行ってたんだよね」とお客さんが笑顔で話す姿を聴くのが好きな杉本健(すぎもとけん)です。

「車のことは、杉本さんに聞けばなんとかなるから」と頼っていただけると、うれしいです。
そのために、お客さんがどんなことに興味があるのか、また、どんなことが心配なのか、お客様の本音を聴くことを心がけています。

なぜ、わたしが【素直】を使命と掲げているのか?
聴いていただけますか?

「お父さんにちょっと貸してみ」

父は、5人兄弟の長男。地元の大手建設会社で部下のいる管理職。いつも無言の圧力で、なにかしたら怒られる。怒られたら、こわいぞと思っていました。

小学校1年生のとき、学校の宿題の工作をやっていたときのことです。

普段、話しかけてこない父が、「お父さんに、ちょっと貸してみ。こうするんだよ」と言って手伝ってくれました。

父は、ふだんから忙しくて、家にあまりいません。そのため、ほとんど会話がなかったので、驚きと同時に、とてもうれしかったです。

「お父さんって、頼りになるんだなぁ?」
と思い、素直に「ありがとう」といいました。

父と20歳はなれている叔父さんは、よく釣りやキャンプに連れていってくれました。

両親が共働きで、かぎっ子だったので、叔父さんが「健、釣りに行くぞ」と声をかけてくれること、とても楽しみにしていました。

叔父さんは、若くて、やさしくて、怒られた記憶もありません。そんな叔父さんの自慢は、日産の2ドアのクーペ、シルビア。

遊びに行くたびに、シルビアに乗せてもらい、「おじさん、カッコいいなぁ?」と思っていました。

「何度も『見えない』って言っただろう!」

わたしは、先天性白内障と逆さまつげのため、小学1年生のとき、毎日病院通いをしていました。

学校が終わると、母が、校門の前で待っていてくれました。宮崎市内からバスで片道40分はかかる病院に、母と一緒に通っていました。

最初のころは、近所の子どもたちと遊べず、「みんなと遊びたいなぁ…」と思っていました。

ところが、毎日毎日病院に通ううちに、「ぼくは重病人。たぶん病気なんだろうなぁ…」とだんだん不安になってきました。

そんなわたしのことを見て、母は、こういってくれました。 「毎日、病院に行くの、ごめんね。大丈夫だから、なおるからね。」

母がいつもそばにいてくれて、声をかけてくれることが、とてもうれしかったです。

小学生のとき、友だちが地元の野球チームに入るというので、わたしも一緒に入りました。

ところが、白内障のため、太陽の光で、フライが上がると、ボールが見えなくなります。

最初のころは、コーチやチームの仲間に、白内障なので、まぶしくてボールが見えない、と言っていました。

ところが、何度言っても、フライを取れないと、コーチから、「なんで取れない!ボール見てんのか!!」と怒られました。

そのたびに、心の中で、「何度も、見えない!」って言っただろう!という怒りがこみあげてきました。そして、白内障になった自分が、悔しくて悔しくてたまりませんでした。

それからは、「言ってもむだだ。誰にもわかってもらいようもないし…」そうにあきらめるようになりました。そして、「人には、弱みを見せるまい」そう強く決意するようになりました。

「ほかのうちより努力しないと」

中学1年のとき、学校から家に帰ると、親戚全員集まっていました。「今日からうちに行くから、おいで」と言われ、理由なしに、親戚の家に連れていかれました。

その後、母から淡々と「お父さんとお母さんは、別々に暮らすことになったから」と告げられました。

わたしは、びっくりしたけど、いつかはこうなるんじゃないかと思っていました。父と母は、いつも言い争いのけんかをしては、口をきかないことが多かったのです。

同級生の両親が離婚して落ち込んでいたら、友だちから「大丈夫?」と言われているのを見て、そう言われるのがいやでした。

意地でも、人には「弱い」ところを見せないようにしました。

離婚してから、一戸建の家から借家。借家から6畳2間の公営住宅に引っ越しました。

母の収入は、スーパーのパートだけでしたので、お金の面で苦しくなりました。
修学旅行行けるのかなぁ…と心配でした。また、中学のバスケットボールの部活の用品は、買えないものは我慢しました。

中学2年のとき、母から月500円のおこづかいをもらうのが、しのびなくて、朝の新聞配達のアルバイトをすることにしました。

努力は、必ず報われると信じて、毎朝休みなくアルバイトを続けました。
意地でも「うちは、貧乏だから買えない」と言いたくなかったのです。

「ほかのうちより努力しないと」

「いつでも帰ってきなさい」

高校を卒業するとき、大学は行きたかったのですが、あきらめました。「大学に行くなら、弟が行った方がいい」そう思いました。

ただ、欲しいものが買えない、大学には行けない、そんな宮崎の環境から離れたいと思ったのです。

東京の大手スーパーに就職が決まり、上京するとき、母はひと言だけ言ってくれました。

「体だけは気をつけなさい。
なにかあったら、いつでも帰ってきなさい」

まったく見知らぬ土地に行くので、帰るところがあると思うと、とても安心しました。

会社に入って4年目。なにか会社に不満があったわけではありません。ただ、「やっぱり、車好きなんだよなぁ…」という気持ちが強くなり、中古自動車販売店に転職しました。

入社4年目のときに、とてもうれしいお客さんOさんとの出会いがありました。
来店の動機は、当時人気もありながらレアな車だったマツダAZ1というスポーツタイプの車を在庫していたからです。

購入後、Oさんは、「ホイールを変えたい」とか「もっとカッコよくできる?」とか、よく相談してくれました。

わたしは、ちょっと冒険したいけど真面目なOさんのことを思い、こう話しました。

「ぼくだったら個性的なホイールを選びますけど、この車の場合、圧倒的に定番が多いですねぇ」

Oさんは、迷ったあげく、「じぁあ、定番で!」と選択されました。

そして、「やっぱり、車のことなら、杉本さんに聞けばなんとかなるから」と言われたことが、とてもうれしかったです。

この数年、営業の現場を離れ、中古車の仕入れの方に回りました。そのうちに、「もっと営業の現場に出て、かつてのようにお客さんと接したい!」という欲求が強くなってきました。

ちょうど1年前に、いま働いているこの会社が営業マンを募集していました。社長のプロフィールや社員の方々のプロフィールまである。ホームページを隅々まで読み込んでいくうちに、「この会社で働きたい!もう一度営業の現場に立つぞ!」という気持ちが強くわきあがってきたのです。

そして、去年の9月から、ラインアップにお世話になることになりました。

「なぜ、わたしが『素直』を使命として掲げているのか?」

入社後の3ケ月の研修が終わり、お客さんとの商談も受け持つようになりました。1週間に1回か2回の商談を大切にしてきました。

あるとき、社長に呼ばれました。

「杉本さんは、車の話しかしないので、モノ売りの営業になっています。」

ズバリ、指摘されました。続いて、たたみかけるように、つぎのように言われました。

「お客さんの質問や話に対してすぐに安易に
答える。もっと、お客さんの考えや気持ちを聴いて、お客さんが望んでいることを提案できるようになっていただけますか?」

社長から言われた瞬間、ハッとして恥ずかしさのあまり、下を向いてなにもいえなくなりました。自分が情けなくなりました。

一人になったとき、つぎつぎと考えが浮かんできました。

「お客さんのことを知ろうとする意識がうすいなあ…」

「それで、自分の知識と経験で、いいくるめようと、しちゃうよなぁ…」

「でも、こんなこと聞いたらなんて思うんだろう?」

そんな考えが頭の中をぐるぐるかけめぐっていたとき、かつての上司から言われた言葉を、突然、思い出しました。

「一人で抱え込みすぎている」

そのとき、これまで生きてきたことが一つになってつながってきました。

「なにを言っても無駄だよなぁ…」とあきらめている。

「弱さを見せまい!」と意地をはっている。

「どうせ、わかってくれないし…」と自分にも相手にも一歩踏み込まない。

その瞬間に、いかに自分が意地を張って、素直な気持ちを出して来なかったことに気づいたのです。

小学校の少年野球のとき、コーチに「見えないのか!」と言われたとき「悔しい!」気持ちを素直を出すことができたら…

両親が離婚したとき、悲しい気持ちを素直に友だちに口にできたら…

お客さんとの商談ときに、気になったことを素直に質問することができたら…

そうなんです。わたしには、素直さが欠けたいたのです。
そこから、わたしは、【素直】を使命と掲げることにしました

すると、ふだんは思い出すこともなく、思い出したくもない、父のことを急に思ったのです。

両親が離婚してから、父とは会っていません。10年前に、亡くなったという連絡だけ入りました。

母や弟、わたしをこんな人生にした父のことを長い間、思い出したくもなかったのです。

でも、わたしたちと別れた父は、なにを思って生きていたんだろうか?なにを感じていたんだろうか?もし、生きていたら、いま、父とどんな話をできたんだろうか?

そのようなことを無性に聞きたくなりました。

その数日後、そういえば、母にも全然連絡を取っていないなぁ、たまには、連絡を取ってみるか、そんなことをふと思いました。

母への久しぶりの連絡、後ろめたい気持ちがありながら、思い切って電話しました。

母の第一声が、「元気でやってんの?」

立て続けに母は話してきます。

「そっちは大変なんでしょ。宮崎はどこ吹く風。落ち着いたら、たまには帰ってきなさい」

わたしが、なかなか予定がつかないというと、

「そうだよね。期待しないで、待ってるよ(笑)」

そんなたわいのない短い会話でしたが、終わってみたとき、電話してよかったと思いました。

自分の素直な気持ちで電話して、とてもすっきりしました。

そのように、【素直】を使命に掲げると、お客さんとの関係にも変化があらわれたのです。

先日、40代のご主人が一人で来店されました。

最初、「警戒感、強そうだなぁ」と距離を置かれている感じでした。近々、奥さんと留学していたお子さんが帰国され、これから車が必要とのことでした。

いろいろお話を聴いていると、車が大変好きなことがわかりました。そこで、素直にこのように聞いてみました。

「車がお好きなんですね。ご家族では、どんなところに行かれていたんですか?」

すると、ご主人は、急に饒舌になり、

「子どもが小さいときは、セレナで、
冬はスキー、夏はキャンプによく連れていったんですよ。」

と笑顔で話してくれるようになりました。

ただ、奥さんとお子さんが帰ってから車を買うかどうかで、迷っている感じでした。

そこで、ご主人と奥さんやお子さんがもしかしたら、よろこんでくれるかもしれないと思い、このように提案してみました。

「奥さんたちが帰ってきたとき、車で迎えに行けるとしたら、どうですか?」

すると、ご主人は、急に目を輝かせて、「その手がありますね!」といっていただき、その場でご契約になりました。

これからも、お客さんがどんなことに興味があるのか、どんなことが心配なのか、お客様の本音を聴くことを心がけていきます。そして、お客さんが言葉にしずらい気持ちを素直に言葉にすることで、よろこんでいただけるように心がけていきます。

最後に、
亡き父へ、
いまは、素直にこう言いたいです。

「お父さんも、つらかったんだろうね」

そして、
宮崎で一人で暮らす母へ 「われわれ兄弟のためだけに生きてきてありがとう。

これからは、少しでも恩返しするから」

瀧口高太

「なぜわたしがこの仕事をしているのか?」社員の【使命の物語】をお聴きいただけますか?